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歴史発見!オークランド
歴史が浅いと言われるニュージーランドですが本当でしょうか?
マオリがニュージーランドに住み始めたのは約1000年前と言われています。
しかし彼らは文字を持たないため、この1000年の記録はほとんど伝わっていません。 オークランドの歴史が記録として残っているのは、ヨーロッパからの入植が本格的に始まった19世紀以降、つまりほんの200年前です。
私もここに住んでいる以上、オークランドの郷土史を無視するわけにはいきません。
このページではちょっとまじめにオークランドの歴史に焦点を当ててみましょう。
 
マオリの時代 トップへ 次へ
マオリやポリネシアの伝承によると、ニュージーランドに最初の人間が足を踏み入れたのは、西暦952~1150年の間とされ、これが定説ともなっています。考古学的証拠としては西暦1200年頃の遺構が、現在までに発見されているもので最古です。
オークランド周辺にもハワイキ(Hawaiki)と呼ばれるポリネシア民族が、このころ移住してきたものと思われます。ハワイキは現在のマオリの祖先と考えられています。
 
西暦(AD) できごと
1000頃 オークランド内のいくつかの火山は、まだ活動していましたが、このころにはすでにマオリが定住していたと考えられています。
1250頃 ランギトト島(Rangitoto Is.)が海底火山の噴火により誕生しました。
 
ワイテマタ(Waitemata)の由来 トップへ 前へ 次へ
オークランドの海の玄関、ワイテマタ・ハーバー。
この名前が付いたのは今から650年も昔でした。
 
西暦(AD) できごと
1350頃 アラワ・カヌー(Arawa canoe)の族長、タマテカプア(Tamatekapua)がオネタウンガ・ベイ(バーケンヘッド付近)の小島(現在は環礁)にハワイキから運んできた神聖な「黒曜石」を置き、この石をマタ(Mataa)と呼んでいたことから、この付近の海をワイテマタ(Wai Te Mataa=黒曜石の海)と名付けたのが、現在のワイテマタ・ハーバーの由来となっています。また黒曜石は黒いガラスのように光ることから、ワイテマタには「キラキラ光る海」という別の意味もあります。
同上 タイヌイ・カヌー(Tainui canoe)がテ・ハウカプア(Te Haukapua=現在のデボンポート)に6艘のカヌーと共の上陸。これ以前からマオリが定住していたと思われますが、はっきりした記録は残っていません。ヨーロピアンが支配するまでの500年間、この付近ではマオリの部族間による争いが絶えませんでした。
 
パケハ(ヨーロピアン)の殖民 トップへ 前へ 次へ
西暦(AD) できごと
1769 イギリスの探検家、ジェームズ・クック(James Cook)がエンデバー号(H.M. Bark Endeavour)でワイテマタ・ハーバーを通過。しかしオークランド周辺には上陸しませんでした。
↑エンデバーの実物大レプリカ(全長33メートル)2000年デボンポートに来航時
1820 ニュージーランドで初めてキリスト教布教をしたイギリスの宣教師サミュエル・マーズデン(Samuel Marsden)がパケハ(Pakeha=ヨーロピアン)としては初めて、オークランド --- ワイテマタ・ハーバーとマヌカウ・ハーバー --- に足を踏み入れました。
1821 イギリスとシドニーを訪れたことのあるマオリの部族長、ホンギ・ヒカ(Hongi Hika)が約1000丁の銃と共に50艘のカヌーでワイテマタ・ハーバーに侵攻、これを最後に以後マオリ間の大きな戦争はなくなっていきます。このときニュージーランド北島には、全部で約5万3千人程度のマオリがいたと思われています。
1827 フランスの探検家デュモン・デュルビル(Dumont D'Urville)がデボンポートのノースヘッドやマヌカウ・ハーバーなどを探索、初めてワイテマタ・ハーバーの地勢図を作成。
1830 オークランドの西岸、ファティプ(Whatipu)で大規模なカウリの伐採と輸出が開始されます。周辺のカウリの伐採は1920年代まで続いていました。
 
首都オークランドの時代 トップへ 前へ 次へ
西暦(AD) できごと
1840
(2月6日)
ワイタンギ条約調印。イギリスの属国となりました。 このときイギリス海軍のウィリアム・ホブソン(William Hobson)がニュージーランドの初代総督となりました。ホブソンはワイテマタ・ハーバーの南岸に大型船が停泊できる湾があることを見つけ、そこをニュージーランドの首都と定め、オークランド(Auckland)と名づけました。 オークランドという名前は、ホブソンが尊敬していたイギリスの政治家ロード・オークランド(Lord Auckland)から由来しています。ホブソンは同時に、オークランドで最も高い山の名前を、ロード・オークランドの姓からマウント・イーデン(Mt Eden)と名付けました。 イギリスの測量技師フェルトン・マシュー(Felton Mathew)が初めてワイテマタ・ハーバーを訪れ、首都計画に着手します。
1840
(4月)
スコットランド出身の若い医師ジョン・ローガン・キャンベル(John Logan Campbell)がコロマンデルを経てオークランドに移住。オークランドで最初の土地購入者となった彼は、現在のワン・トゥリー・ヒル周辺やブラウンズ島などを所有していました。後の1901年にはオークランド市長となり、同年ワン・トゥリー・ヒルとコーンウォールパークを市民のためにオークランド市へ寄付。現在コーンウォールパークには、彼が1841に最初に建てた小さな家「アカシア・コテージ」が残っています。1912年94歳で死去、ワントゥリーヒルの頂上に埋葬されています。
1841 最初の政府庁舎がコマーシャル・ベイ(Commercial Bay=現在のBritomart付近)に建てられました。
1843 エミリー・プレース(Emily Place)にオークランドで最初の教会が建てられました。
1848 新しい政府庁舎が現在のアルバートパークに移りました。この頃オークランドのメインストリートはショートランド・ストリート(Shortland Street)でした。
1852 最初のクイーン・ストリート埠頭(Queen Street Wharf)が完成。
1853 ポイント・ブリトマート(Point Britomart)に議事堂が完成
1859 干拓が始まり、現在のCustoms StreetとFort Streetまでが陸地となりました。
1865 首都がウェリントン(Wellington)に遷都。オークランドにガス灯が導入
 
近代化へ トップへ 前へ
西暦(AD) できごと
1871 このころのオークランドの人口は1万人を超えました。
1873 オークランドからオネハンガまで最初の鉄道が開通。
1877 ウェスタン・スプリングス(Western Springs)に浄水場が完成。1900年までオークランドの水源となりました。
1900 ニュージーランド政府による土地の押収やパケハが持ち込んだ病気などで、ニュージーランド北島のマオリは、4万人までに減っていきました。
1901 ジョン・ローガン・キャンベル(John Logan Campbell)がオークランド市長となり、自分の土地であるワン・トゥリー・ヒルとコーンウォールパークを市民のためにオークランド市へ寄付しました。
1902 オークランド(クイーン・ストリートとカスタムズ・ストリート)に路面電車(Tram)が開通。
1910 グラフトンブリッジが完成
1912 中央郵便局がクイーンストリート末端に完成(現在はブリトマート駅舎としてリニューアル)
1929 オークランド博物館(Auckland War Memorial Museum)がオープン。
1932 タマキ・ドライブ(Tamaki Drive)が開通。
1954 フヌア・ダム(Hunua)が完成し、オークランド市民の水がめとなる。
1959 ハーバーブリッジが完成。このときは4車線でした。
1964 オークランドの人口が50万人を突破。
1966 それまで空軍と併用していた民間空港が、マンガレ(Mangere)にオークランド国際空港として開港。
1996 オークランドの人口が100万人を突破。
1997 スカイタワー(328メートル)完成。南半球でもっとも高い建物となる。
2003 ブリトマート地下駅が完成。
 

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