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テパパ・ミュージアムの憂鬱 トップへ 次へ
5年の歳月とNZ$4300万の費用をかけて新装オープンしたオークランド博物館(Auckland War Memorial Museum)
ドメインの丘の上に威風堂々とたたずみ、凛としてオークランドを見おろしています。その荘厳な姿は、元来の戦争記念博物館としての厳粛さを威圧感ともに感じさせます。
 
2000年3月18日にそのオープニング・フェスティバルがありました。 今までのグランド・フロアにあったマオリと南太平洋の展示や2階の戦争関連の展示物はそのままです。新たにニュージーランドの自然に関する展示や各国の芸術や文化の展示が今回加わりました。
ニュージーランドの博物館と言えば、1998年に完成した首都ウェリントンにあるテパパ・ミュージアム(Te Papa Museum)が、最大規模で有名です。私も完成間もないテパパに行きましたが、ニュージーランドに関するあらゆる分野--歴史・自然・地理・文化・芸術などなどが4階建ての建物にぎっしりと展示されていたのには感心しました。…が、その展示分野があまりに広すぎ、何か雑然として、まとまりのない博物館だったという印象が残っていました。ただ入場は無料なので十分に楽しみましたが。 そして、新装オープンしたオークランド博物館は…とてもテパパです。
順路らしきものがなく、それでも各展示ごとに区切られているようなのですが、恐竜の化石の次になぜか中国の陶器などが展示されていたり、その「取り留めのない展示の仕方」はまさにオークランドにやって来たテパパ・ミュージアムです。
 
今回とても印象深かった展示は「引き出しに入った鳥の標本」でした。鳥の標本は通常剥製にし木に止まらせたり、飛んでいる姿で吊るされたりしますが、それらの展示とは別に、なんと昆虫などの標本と同じように、引き出しになったケースの中に、ツイやオウムなどの鳥たちが標本になっていました。 皆羽を閉じた状態で、しかもベルトみたいなもので、ぎゅっと縛られて並んでいました。 あるものは仰向けに、あるものは狭そうに首を曲げて並んでいる姿に鳥たちの哀れを感じます(合掌)。 もう一つは理科室にありそうなグロテスクなホルマリン付けのビンたち。その中のひとつには、Bert Sympson(黄色い顔をしたテレビアニメのシンプソンのこと)の人形があり、ちょっとお茶目なキウィ・ジョークが見られました。どこにあるか探してみてください。
(注:2004年現在これはすでに撤去されていたようです。また展示物もさらに充実しカテゴライズ化もされています。ただし入場料は強制的な寄付金$5が必要です)
19 MAR 2000 @ Auckland
 
アメリカズカップ祝勝パレード トップへ 前へ 次へ
149年の歴史を持つアメリカズカップ
 
その長きに渡る歴史の中で132年間カップを防衛してきたのはアメリカでした。アメリカ以外の国がカップを手にできたのは、わずかにオーストラリアと、そしてニュージーランドだけです。今回TNZ(チームニュージーランド)が勝てばアメリカ以外の国がカップを防衛する初の快挙となります。
 
今回5チームを繰り出してきたアメリカ勢ですが、決勝まで残ることができず、防衛戦はイタリアのプラダ・チャレンジとの対決となりました。プラダはそれまで善戦してきましたが、TNZの前には1勝することもできず、結局5対0(まさにwhitewash!)でカップを防衛しました。 ついでに前大会から数えて10連勝は、約1世紀前の1899-1903に作られた9連勝を抜く新記録というおまけつきです。
 
その祝勝パレード(Ticker-Tape Parade)が3月4日にあり、エンターテインメントに乏しいNZ、せっかくのチャンスですから見に行って来ました。
その日は朝から、「オークランドだけど、真夏の青空1つ。雲は抜いといて」と誰かが頼んだような青い空がどこまでも広がり、皮膚ガンさえ気にしなければ最高の天気となりました。
パレードは昼12:30スタート予定でしたので、私は友達と共にのんきに12時頃向かいましたが Queen Street はすでに飽和状態、しかも周りは皆でっかいキウィ。ダメだこりゃと言いつつ最終地点に近い Customs Street に向かいましたが、ここもすでに「最前列ってどこだろう?何とかしてよぉドラえも~ん」の気持ちを抑えながらなんとか近くまで行き、そこにあった柵に登りパレードを待ちました。
待っている間周りでは、気の早いキッズが紙テープを投げまくり、暑気当たりで倒れる人がいたり…報道では25万人が繰り出したと言ってました(ちなみにオークランド・シティの人口は38万人。よく言われる120万人というのはオークランド地方全体の人口~オークランド豆知識)。
 
さて1時間近く待った後、ようやくパレードがやってきましたが、最初はスポンサーの会社や警察(警察も活躍したんだぞと主張したかったらしい)などがそれぞれに凝った山車で、そしてキウィバードに扮した楽団なども通っていき、盛り上がっていきました。その盛り上がりがヒュ~とダウンしたのは、スーツを来たデッカイ人たちと一人の地味なおばちゃん一座が通りかかったときです。
周囲の人たちもそれが誰なのか分からず、静かなうちに通り過ぎようとしたとき、隣の友達に「ヘレン・クラークだ!」と言われて良く見ると、WELL DONEと書かれたプラカードを掲げながら歩いているおばちゃんは確かに首相のヘレン・クラーク…。 通り過ぎた後に、周囲もようやくそれがNZ首相とボディーガード一座だと気づいたようでした。 気を取り直してパレードは続き、プラダの一団がやってくると、なんと約20台ものフェラーリが一緒に続いて来たので周りは大喜び、そして主役のTNZのクルーは、当然ヨットの上に七福神のようにやってくると思いきや、トヨタのピックアップの荷台でした。いくらトヨタがスポンサーだからって…、パレードでは完全にプラダの勝ち!
パレードは約1時間半で終わり、残された紙テープの山がパレードの大きさを物語っていました。次のアメリカズカップ開催は2002年10月です。
※アメリカズ・カップ2002ではTNZはスイスチームのアリンギに全敗でした。
6 MAR 2000 @ Downtown
 
キウィなスズメ トップへ 前へ
日本ではゴミを散らかす厄介者のカラスがここにはいない。
 
日本の都市部ではカラスが制空権を握っているようで、しかも鳥の中ではIQが高いらしいことを鼻にかけ、いつも何か態度がでかく偉そうにしている。
「こんなに黒いヤツですが、少しだけこの魚のしっぽを頂いてもよろしいでしょうか」くらいの謙虚な姿勢でそっとゴミを持っていくんなら、きっと人間達もその非社会的な行動に対して理解を示してあげようというものだが、いかんせん、生ゴミの入った袋を見ると親の仇のように「んなろ~」と叫びつつ振り回したり散らかしたり…、その乱心振りには桃太郎侍もびっくりすることがある。
その点日本のスズメは謙虚だ。しかも臆病で小さくかわいい。人が少しでも近寄ろうとすると、たちまち逃げてしまうところがなんとも切ない。
 
ところがである。ニュージーランドにはカラスはいないが、スズメはあきれるほど多い。そしてカラスのような敵がいない分、相当危機感に乏しく図々しい。
 
レストランやフードコートの中にまで入ってくる。そして客の食べ残しを狙い、ヌードルを食べている私の頭上をバサバサと飛んでいく。これはオークランド・シティの日常である。 私がベンチなどでサンドウィッチなどを食べていると、あっという間に20羽ほどのスズメが、自分の足元に半円を描いて集まっている。パンを小さくちぎって差し出すと、直接手から食べるヤツさえいる。これも珍しくない。
 
家の庭にもスズメは多い。先日家を出るときに、目の前の地面にスズメがいたのですぐ逃げるだろうと思い、気にも止めず歩いていった。
どんどん、どんどん近づくが逃げない。とうとう足元約30センチほどまで近づき、そのまま通り過ぎようとしたとき、「ひょっして、動けないのでは…」と直感し、足を止めスズメの様子を少し見た。足元から30センチほどの距離だが、まるで私の存在を無視しているかのようだ。
その表情は「お日様って…ありがてえよなぁ」といった顔だ。「おまえホントに大丈夫か?」と声を掛けたくなり、少し顔を近づけようとしたとき、そのスズメは、ハッとしていた。
そのとき初めて私に気づいたようにバタバタと飛び去っていったのであった。危機感の乏しいスズメに「日本人がNZに来たらこんな風になるのかな~」なんてことをちらっと考えてみた。
7 FEB 2000 @ Mt Eden
 
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